小児科のラーメン

初めて入るラーメン屋で大盛りを頼むこと自体冒険なのかもしれない。
でも、僕はラーメンと名のつくもの多少道を踏み外していても
完食できる自信があった。
それくらいラーメンが好きだし、勝算もあった。
食べログでの高評価はもちろん、都会の一角にありながらボロボロの
佇まい、二畳ちょっとに換算されそうな狭さ、最後まで閉まらない
硝子戸。
それら全てが未知の美味へのいざないを予感させていた。
だから僕は、それほどお腹がすいていないにも関わらず大盛りを
頼んだのだ。
主人とその奥さんらしき人はいかにもカカア天下といった感じで、
ざっくばらんに話していて好感が持てる。
きっとこの二人が、ときには喧嘩をしながら、力を合わせて地道に守り
続けた味が認められ、このような都会のラーメン競争で生き残れるに
至ったに違いない。
そんなことを考えながら待っていると、主人が「あっ茹ですぎた」
と言った。
うんうん。
まあ、それは、茹ですぎたという字のままの事ではあるまい。
きっと長年ラーメンを作り続けた職人にしか分からない小数点
以下数秒の世界の話なのだろう。
そんなことは今どうでもいいのだ。
この夫婦が長年培ってきたラーメンのスープの歴史と比べたら、
麺の茹で加減の数秒など取るに足らない。
そんなことより僕がいま、僕の胃袋が欲しているラーメンと言う
名のスペクタクルで食欲という名のキャンバスを埋めてほしいのだ。
気にするな。
「ヘイ、お待ち」と言ったかどうかは定かではないが、僕は主人が
何か口から発しながらラーメンばちを置くや否や口の中に麺の
第一便を送り込んだ。
しかし、次の瞬間、僕の頭の中を驚くべき支配力を持って駆け巡った
言葉は「小児科」だった。
このラーメン小児科の味がする。
いや、そんなはずがない。
だって、ラーメンは食べ物だし、小児科は施設だし。
ラーメンはおいしいものだし、小児科は命を救う場所だし。
そんなはずがないよ、と念を押して僕は次の一口をすすった。
うん、小児科。
小児科の味するねこれ。
びっくりする。
何が小児科の味がするんだろう?
スープ?
ずずずっ
うん、小児科。
麺?
ぞぞぞっ
小児科。
チャーシュー?
小児科。
ネギ?コショー?
小児科小児科。
もはやその器の中は、ありとあらゆる小児科で埋めつくされていた。
そこに小児科以外の要素が入り込む余地は皆無だった。
一口食べるごとに、より強固になっていく、食べ物とはかけ離れた
子供を救う現場のイメージ。
鼻腔を突き抜けるたび「これは食べ物でない」と警告を発する
わが食欲中枢。
そして己の過ちを咎め、あざ笑うかのように立ちはだかる
大盛りの壁。
僕は主人の顔を見た。うらめしそうに。
ご主人、どうして言ってくれなかったの。
「大盛りはさすがに無理だよ」って。
「だってこれ、小児科の味するよ」って。
主人はそ知らぬ顔でワイドショーを見ていた。
ちくしょう、下手な美容師とまずいラーメン屋はどうして
そ知らぬ顔だけは上手なんだ。
僕はラーメンは残せない。
それだけは哲学に反する、というより気が弱すぎてできないのだ。
己の贖罪のため、僕は箸を進めた。
ずずずっ。
経鼻腔噴霧器。
ずずずっ。
せきどめシロップ。
ずず、ずず。
ちくのうのポスター。
記憶に埋もれたあらゆる小児科に関する情報を掘り返されたところで、
やっとラーメンは消滅した。
食べたのではない、ただ僕は耐えて、それは、なくなったのだ。
お腹の中に命の現場が展開しているなどということは考えたくも
なかった。
僕は何食わぬ顔で650円を払い、ごちそうさまを言って店を出た。
僕は決然としていた。
僕はこれから、この意味のない苦行を誰とも知らない人に繰り返
させないために、いち生還者として、あの恐怖を、あの惨禍を
食べログ>や<自分のブログ>に書き記し、末代まで語り継ぐ
使命を負っていたのだから。
僕はテーブルを求めて歩いた。
茶店、満員。
ファストフード、長蛇の列。
茶店その2、満席。
そうか、今日はクリスマスイヴなんだ。
街は浮かれたアホカップルでごったがえしていた。
僕は焦った。
歩けば歩くほど薄れていくあの味覚の記憶。
あの小児科の味を忘れないことがこんどは僕の使命になっていた。
どこかテーブルは、どこかテーブルは。
だめだ。駅のベンチくらいしかあいていない。
テーブルがないとタイピングできないのに。
僕は途方にくれた。
あの味を思い出すためにもう一度食べにいくなんて、絶対に、絶対に
あってはならないことだ。
人でごった返す街の中を、しょうにか、しょうにか、とつぶやきながら
一人の男が歩いていった。
メリークリスマス、この世界は腐っています。